肥前・龍造寺氏
一族一門一党


◆龍造寺 季家(?)

通称:高木南三郎、左衛門尉
別名:
法名:

龍造寺初代当主。
肥前国龍造寺村末吉名の小地頭職。
高木季経の次男で藤原魚名の裔、季喜の養子となった。


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◆龍造寺 季益(?)

通称:長瀬南三郎、小三郎、左衛門尉
別名:末益
法名:性圓

龍造寺二代当主。
子に季時、季友、家益
肥後国野原西郷増永名の地頭職を兼務


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◆龍造寺 季時(?)

通称:南二郎
別名:
法名:

父より先に死去し家督は弟が継いだ。


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◆龍造寺 季友(?)

通称:三郎兵衛尉
別名:
法名:空智

龍造寺三代当主。
子に家清
肥前守護北条時定に音信。


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◆龍造寺 家益(?)

通称:六郎
別名:季友
法名:持善

龍造寺五代当主。
弘安の役の時、兄・季時とともに出陣し、壱岐に撤退した元軍を追撃した。
上記恩賞として、佐賀郡龍造寺村、筑前比伊郷、筑後荒木邑の地頭職を得た。

延慶二年、末吉名の下地と加徴米について地頭の蓮沼三郎兵衛と相論を起こし
鎮西探題に訴えられた。
鎌倉幕府が陥落した時、子の家季、同族家清の子・家泰を率いて、郡内の
高木宗綱以下御家人らと共に鎮西探題を攻めた。


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◆龍造寺 家清(?)

通称:又四郎、小左衛門尉
別名:
法名:寂智

龍造寺四代当主。
元寇に戦功。
筑前比伊郷と筑後荒木村の地頭職を兼務。
子に家泰と家平。


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◆龍造寺 家親(?)

通称:又六郎
別名:家季
法名:修繕

龍造寺六代当主。
家益の子。
凶徒誅伐に功あり。筑前国長淵荘の一分地頭。
子に家種と家政。


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◆龍造寺 家種(?)

通称:六郎
別名:家房
法名:実善

龍造寺七代当主。
足利尊氏が長門国赤間関に到着した際、九州諸将と共にこれを迎えた。
建武四年、父の名代として同族・家泰とともに一色頼行に加勢。


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◆龍造寺 季利(?)

通称:
別名:
法名:

家種の子。
暦応二年八月、三十日間の警固番役を務める。
建武三年五月、仁木義長の松浦御越に供奉する。


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◆龍造寺 家時(?)

通称:
別名:
法名:

孫に彦三郎家貞。


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◆龍造寺 家泰(?)

通称:
別名:
法名:

家清の子。家平の兄。
建武三年、戦功により足利尊氏の感状を得る。
建武四年、同族・家種とともに一色頼行へ加勢。


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◆龍造寺 家平(?)

通称:又四郎、民部大輔
別名:
法名:

家清の子。家泰の弟。


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◆龍造寺 家政(?)

通称:孫次郎、又七郎、式部丞
別名:宗政、家昌
法名:極善

龍造寺八代当主。
家季の子。家房の従兄弟。
筑後河北合戦に従軍。


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◆龍造寺 家経(?)

通称:熊龍丸、孫六郎、左近将監
別名:
法名:

龍造寺九代当主。
応安四年十一月、斑島地頭尼代某と共に、呼子津・金屋・相知等を転戦。
肥後及び筑後合戦に参加。


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◆龍造寺 家是(?)

通称:熊龍丸、式部丞、主計允、若狭守
別名:家貞
法名:

龍造寺十代当主。
取り上げられていた龍造寺村の知行を返付される。元中八年(明徳二年)九月、
今川了俊の子・今川貞臣から若狭守の受領名を得ている


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◆龍造寺 家治(?)

通称:熊龍丸、主計允、若狭守
別名:家俊
法名:

龍造寺十一代当主。
明徳二年九月、今川了俊の子・貞臣にて若狭守を任官。


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◆龍造寺 康秀(?)

通称:若狭六郎
別名:
法名:

龍造寺十二代当主。
家治の跡を継ぐ。


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◆龍造寺 家秀(?)

通称:又六郎、兵部大輔
別名:家次
法名:栄秀

龍造寺十三代当主。
康秀の跡を継ぐ。


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◆龍造寺 家氏(?)

通称:六郎、右衛門大夫、隠岐守
別名:
法名:定譽辛公

龍造寺十四代当主。
家秀の跡を継ぐ。


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◆龍造寺 家貞(?)

通称:彦三郎
別名:
法名:

家氏の弟。


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◆龍造寺 定明(?)

通称:
別名:
法名:

家氏の弟。


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◆龍造寺 家次(?)

通称:右京亮、民部大輔
別名:季家
法名:

家氏の弟。


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◆龍造寺 康家(?)

通称:次郎、隠岐守、右衛門大夫、左衛門大夫
別名:忠俊、家満
法名:定翁浄正

龍造寺十五代当主。
妻は大宰府小鳥居法橋菅原信元の娘。
男子に胤家、家和、家兼、大炊助
僧侶となった澄覚法印、天亨長老、冨春貴禅師がおり、
娘に内田左京亮泰能の妻がいる。


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◆龍造寺 胤家(?〜1531)

通称:豊前守
別名:家弘
法名:

康家の長男。
総領を継がずに千葉氏に属し、筑前へ赴く。
子に胤直、胤知、盛家がいる。
小山・北村・藤井・村上・三村・石丸の祖。


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◆龍造寺 家和(?〜1530)

通称:山城守、隠岐守、民部大輔
別名:家員
法名:

龍造寺十六代当主。
康家の次男で、兄に代わり総領を継ぐ。
妻は於保因幡守宗親の娘。
子に胤和、胤久、胤門、忠清がいる。


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◆龍造寺 家兼(1453〜1546)

通称:孫九郎、山城守、左衛門佐、兵庫助、兵庫頭
別名:
法名:剛忠

康家の四男。
父の隠居所、水ヶ江の所領を継いだ。肥前守護代も務める。
妻は片田江山城守家貞の娘。
子に家純、於保備前守胤宗室、本告與一郎増景室、空閑三河守久家室、
龍造寺伯耆守盛家室、徳島孫八郎盛秀室、家門、鹿江遠江守兼明室がいる。


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◆龍造寺 大炊助(?)

通称:大炊助
別名:
法名:

康家の七男。(末子)
大内氏に従い、中国地方へ赴いた。


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村中龍造寺
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◆龍造寺 胤直(?〜1545)

通称:右京亮
別名:
法名:

胤家の長男。子に常家、家親がいる。


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◆龍造寺 胤知(?)

通称:対馬守
別名:
法名:

胤家の二男。
筑後国竹野郡森部村に移住し、子孫は倉富を名乗る。


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◆龍造寺 盛家(?〜1545)

通称:伯耆守
別名:
法名:

胤家の三男。
松浦に侵攻し、波多興と戦うも敗北した。
子に日向守信以、三郎四郎


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◆龍造寺 胤和(?)

通称:刑部大輔
別名:胤員
法名:法雲道洪

妻:龍造寺豊前守胤家の娘。

家和の長男。
娘に龍造寺周家のち鍋島清房の妻となった慶ァ尼がいる。
嫡子であったが早世した。


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◆龍造寺 胤久(1500〜1539)

通称:新次郎、民部大輔、大和守
別名:
法名:長雲道久

龍造寺十七代当主。家和の二男。
兄が早世したため家督を継ぐ。
妻は兄の未亡人を娶る。
子に胤栄、家就、胤明らがいる。


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◆龍造寺 胤門(?)

通称:左近将監
別名:
法名:

家和の三男。
養子に甥の越前守家就。
子に家直、信氏、家久がいる。


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◆龍造寺 忠清(?)

通称:雅楽頭
別名:
法名:

家和の四男。
子に七兵衛がいる。



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◆龍造寺 常家(?〜1585)

通称:伊豆守
別名:
法名:

胤直の長男。
子に鎮家。


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◆龍造寺 家親(?)

通称:播磨守
別名:家宗
法名:

胤直の次男。
子に信親、宗金斎、信明、家俊らがいる。


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◆龍造寺 鎮家(?)

通称:備後守
別名:
法名:

常家の長男。


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◆龍造寺 信親(?)

通称:掃部助、豊後守
別名:
法名:

子:藤井覚右衛門茂親、葉山二助家氏

家親の長男。
弟に宗金斎、信明、家俊。


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◆龍造寺 信明(?)

通称:美作守
別名:
法名:

家親の二男。


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◆龍造寺 家俊(?)

通称:式部大輔
別名:
法名:

家親の三男。


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◆龍造寺 信以(?)

通称:日向守
別名:家重
法名:

妻:龍造寺隆信の娘

盛家の二男。兄に高木鑑房、弟に三郎四郎がいる。
子に家盛、信門がいる。


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◆龍造寺 胤栄(1524〜1548)

通称:新次郎、豊前守、宮内少輔
別名:胤光
法名:賢誉道徳

龍造寺十八代当主。肥前守護代を務めた。
妻は龍造寺家門の娘。
娘は小田鎮光室のち波多親室となった。

宗家を継いでいたが嗣子がなかったため、隆信が継いだ。


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◆龍造寺 家就(?〜1582)

通称:右京亮、越前守
別名:
法名:

胤久の二男。
兄が死ぬと隆信に本家を継がせその補佐に当たった。
子に光則。


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◆龍造寺 胤明(1526〜1545)

通称:新五郎
別名:
法名:

胤久の三男。
跡式を西村伊予守の子が継いだ。


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◆龍造寺 家直(〜)

通称:伊賀守
別名:
法名:

胤門の長男。


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◆龍造寺 信氏(〜)

通称:河内守
別名:
法名:

胤門の二男。


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◆龍造寺 家久(〜)

通称:隠岐守
別名:
法名:

胤門の三男。
子に信時、信房、信家がいる。


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◆龍造寺 家盛(?)

通称:刑部太輔
別名:信秀、信盛
法名:

信以の長男。


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◆龍造寺 信門(?〜1584)

通称:勝四郎、弥三郎、右馬太輔
別名:家繁
法名:

信以の次男。
隆信の御側衆頭として仕えており、沖田畷の戦いに従軍し討死した。


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◆龍造寺 信時(〜)

通称:肥後守
別名:
法名:

家久の長男。


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◆龍造寺 信房(〜)

通称:太郎九郎
別名:
法名:

家久の二男。


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◆龍造寺 信家(〜)

通称:五郎兵衛
別名:
法名:

家久の三男。


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水ヶ江龍造寺
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◆龍造寺 家純(?〜1545)

通称:豊前守、豊後守、兵庫助、右衛門大輔
別名:家重、尚信
法名:鑑翁浄照

妻:蒲原佐渡守家秀の娘

家兼の子。水ヶ江西分家当主となる。
子に鍋島駿河守清房室、周家、豪覚法印、純家、頼純、馬場六郎正員室、
徳島孫八郎室、鍋島周防守清虎室、澄尊法印らがいる。


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◆龍造寺 家門(?〜1545)

通称:三郎兵衛、左衛門佐、和泉守
別名:
法名:春雲道香

家兼の子。水ヶ江惣領を継ぐ。
子に龍造寺孫三郎純家室、家泰、鑑兼、宗珍、龍造寺胤栄のち隆信室、
高木能登守鑑房のち小田政光室、堤越後守室がいる。


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◆龍造寺 周家(1506〜1545)

通称:六郎二郎
別名:
法名:鼎伯日周

家純の長子。
妻は龍造寺刑部大輔胤和の娘。
子に隆信、信周、長信


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◆龍造寺 純家(?〜1545)

通称:孫三郎
別名:
法名:字岳浄永

妻:龍造寺和泉守家門の娘

家純の二男。
子はなく、跡式を鍋島駿河守清房末男が継ぎ、龍造寺下総守康房と名乗った。
多久・米倉・本荘の祖。


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◆龍造寺 頼純(?〜1545)

通称:孫八郎
別名:
法名:渭春浄清

家純の三男。
子に右衛門家善(賢純)
松井の祖。


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◆龍造寺 家泰(?〜1545)

通称:三郎
別名:
法名:安祥道泰

妻:龍造寺胤久の娘

家門の長男。



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◆龍造寺 鑑兼(1542〜1607)

通称:孫九郎、左衛門佐、左衛門大夫
別名:
法名:心翁宗観

家門の二男。水ヶ江惣領。
妻は本告与二郎増景の娘。
子に七郎左衛門家晴。


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◆龍造寺 宗珍(?)

通称:久右衛門
別名:
法名:宗珍斎

家門の三男。
宝琳院にて出家したが後に還俗。
養子に三村久左衛門国治。
諫早氏に仕えた三村氏の祖。




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◆龍造寺 隆信(1529〜1584)

通称:長法師丸、民部大輔、山城守
別名:胤信、隆胤
法名:円月

父:龍造寺周家
兄:
弟:龍造寺信周、長信

妻:龍造寺和泉守家門の娘

子:政家、江上家種、後藤家信、蒲池民部大輔鎮漣の妻、西郷信尚の妻

周家の長男。
当初は出家しており、「円月坊」と名乗り、還俗後は「胤信」を名乗る。
本姓は藤原氏。
1548年には本家の当主・龍造寺胤榮が亡くなったため本家を継ぐ。


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◆龍造寺 信周(1531〜1608)

通称:新次郎、左馬頭、阿波守、安房守、豊後守
別名:周光、周吉、周澄、信澄
法名:昌菴宗桂

杵島郡小田城主、のち須古城主

父:龍造寺周家
兄:龍造寺隆信
弟:龍造寺長信

妻:堀江兵部少輔信久の娘

息:家誠、信明、茂成、長昭、盛弘、正純
娘:犬塚茂續室、水町茂俊室

周家の次男。
隆信の異母弟であり、同腹の長信よりも地位は低かったらしい。
兄・隆信に従い各地を転戦。
隆信戦死後、柳川城に引きこもった鍋島直茂を説得し、佐賀へ戻らせた。
その後、一門一党起請文を提出し、鍋島による実権掌握へ舵を切った。
天正十七年(1589)頃、安房守信周から阿波守周光に改名。
文禄の役では佐賀の留守を任された。
嫡男家俊と次男信明が出兵したが、現地で家俊が病死。
次男信明が嫡子となり後を継いだ。
須古を領し、佐賀藩重臣・須古鍋島氏の祖となる。


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◆龍造寺 長信(1537 〜1613)

通称:慶法師、六郎次郎、采女正、弾正忠、兵庫頭、和泉守
別名:家信、長述
法名:天理元心

梶峰城主、蓮池城主、多久城主

父:龍造寺周家
兄:龍造寺隆信、信周
弟:

妻:小田駿河守政光の娘(芳岩)

子:龍造寺家久、龍造寺家均の妻(心光院)
他、養女として龍造寺又八郎久重の妻と、蒲池兵庫助鎮運の妻がいる。

周家の三男。
隆信・信周の弟になるが、当主隆信と同腹であったため厚遇された。
鍋島藩重臣・多久氏の祖。


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◆龍造寺 家善(〜)

通称:右衛門
別名:賢純
法名:

頼純の長男。


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◆龍造寺 政家(1556〜1607)

通称:長法師丸、太郎四郎、民部大輔、駿河守、侍従
別名:鎮賢、久家、従四位下豊臣朝臣羽柴肥前守
法名:龍洞院殿大雲宗長

佐嘉城主

父:龍造寺隆信
兄:
弟:江上家種、後藤家信

妻:有馬越前守義貞の娘、後藤伯耆守貴明の娘(継室)

子:龍造寺高房、信清、雅義、主膳、朝山将監(養子?)
  鍋島隼人茂貞の妻、毛利豊前守吉政の妻

龍造寺隆信の嫡男。


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◆江上 家種(?〜?)

通称:又四郎、六郎、構兵衛、権之允、権兵衛、左馬頭、下総守、武蔵守
別名:隆国、家胤
法名:一機浄天

城原城主、勢福寺城主

父:龍造寺隆信、江上武種(養父)
兄:龍造寺政家
弟:後藤家信

妻:大村純忠の娘

子:佐野右京亮茂美、勝山大蔵勝信(江上勝種)、朝山将監、鍋島忠茂の妻

龍造寺隆信の次男。


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◆後藤 家信(1563〜1622)

通称:鶴仁王、善次郎、十左衛門
別名:
法名:

父:龍造寺隆信、後藤貴明(養父)
兄:龍造寺政家、江上家種
弟:

妻:後藤貴明の娘

子:鍋島茂綱、茂延

龍造寺隆信の三男。
肥前武雄領主・後藤氏の第20代当主。
先代後藤貴明の養子。
江戸時代を通じて武雄を領した武雄氏は、この家信の子孫であり
龍造寺の血脈が続いた。


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◆龍造寺 高房(1586〜1607)

通称:長法師丸、藤八郎、駿河守
別名:隆房
法名:天祐宗春

父:龍造寺政家
兄:
弟:信清、雅義、主膳、朝山将監

妻:鍋島主水の娘

子:季明(庶子)

龍造寺政家の嫡男。
実は三男であり長男と次男は夭折している。


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◆村田 安良(?〜1632)

通称:八郎、八助
別名:龍造寺信清
法名:明高清義

父:龍造寺政家
兄:龍造寺高房
弟:雅義、主膳、朝山将監

妻:大田正左衛門茂連の娘(鍋島勝茂の養女)

子:村田伊平太氏久

龍造寺政家の次男。(四男)
村田家は、鍋島藩における龍造寺家の宗家として遇された。
鍋島親子への忠誠を誓う起請文の署名には龍造寺八助信清とある。


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◆龍造寺 主膳(?)

通称:主膳正
別名:
法名:龍安

父:龍造寺政家
兄:
弟:

妻:

子:

龍造寺政家の三男。
小城松尾山で出家し、高野山で修業していたが、
高房の遺児・龍造寺季明とともに江戸幕府に龍造寺家再興を訴えた。
結局、龍造寺家再興は果たず、働きかけも徒労に終わった。
後、大和郡山の本多家へ預けられ、子孫はその家臣となった。


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◆龍造寺 季明(?〜1666)

通称:山城守
別名:
法名:伯庵季明

父:
兄:
弟:

妻:

子:庄之助

龍造寺高房の長男。
高房十九歳の時の庶子であり遺児。
母は高房室の鍋島主水娘の下女と伝承があるが詳細は不明。
高房が肥前へ帰国した頃に生まれたが、高房周辺が安定していなかった為、
宝琳院へ預けて手許に置いていなかった
伯庵二十二歳の時、寛永七年(1630)比叡山へとの名目で無断出国
「この時、龍家一族の内、同意の者少々相従い立退き申候」とあるように
供を連れての出国であり、龍造寺氏再興を幕府に働きかける意図が見える。
龍造寺氏の当主として、肥前佐賀藩を鍋島氏の手から取り返すべく
再三幕府に訴え出たが、結局認めらることはなかった。
正保元年(1644)、会津藩保科正之にお預けの身となり50人扶持を給された。
後に100人扶持となり300石を給された。
子孫は会津藩士となり、会津龍造寺家は幕末まで続いた。


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◆龍造寺 家晴(1554〜1613)

通称:孫九郎、兵庫助、上総介、七郎左衛門
別名:信重
法名:

肥後南関城主、筑後柳川城主、肥前諫早領主

父:龍造寺鑑兼
兄:
弟:

妻:千葉介胤繁の娘

子:龍造寺作十郎(諫早石見守直孝)

鑑兼の嫡男。


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◆龍造寺 康房(?〜1584)

通称:下総守
別名:鍋島信種
法名:

父:鍋島清房、龍造寺純家(養父)
兄:鍋島直茂
弟:

妻:

子:

下総守。鍋島信種。

鍋島清房の子。
隆信の弟龍造寺長信の家臣として活躍。
長信が多久を領したため、共に多久の地に入り多久女山城を守った
1584年の沖田畷の戦いで戦死。子孫は多久氏を称した。


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◆龍造寺 家誠(?〜1593)

通称:彦右衛門
別名:家俊
法名:龍岩宗白

父:龍造寺信周
弟:龍造寺信明、有田茂成、鍋島長昭、久和原盛弘、須古正純

信周の嫡男。文禄の役に弟・信明とともに出陣したが、現地で病没。
子がいなかったため、弟の信明が継ぐこととなった。


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◆龍造寺 信明(1566〜1642)

通称:松浦太郎、市兵衛、下総守
別名:信昭
法名:水無影庵

父:龍造寺信周、松浦盛(養父)
兄:龍造寺家誠
弟:有田茂成、鍋島長昭、久和原盛弘、須古正純

妻:松浦丹後守盛の娘

子:鍋島因幡守茂周、須古式部周昌、神代伯耆守常親の妻

信周の次男で、当初は有田唐船城主であった松浦丹後守盛の婿養子となり、
松浦太郎信明と名乗る。養父の死後は同城主となる。
文禄の役に兄とともに出陣したが、同地で兄が病没。
嫡子となり龍造寺市兵衛信明と名乗る。
父の後を継ぎ須古の領主となり、須古下総守信昭と称した。


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◆有田 茂成(?〜1625)

通称:傳蔵、八右衛門、下総守
別名:信脇
法名:傑ュ宗英

父:龍造寺信周
兄:龍造寺家誠、信明
弟:長昭、須古信純、正純

妻:

子:

信周の三男。
長兄が文禄の役で病没し、次兄がその跡を継ぐと、次兄のあとをうけて
有田唐船城主となり、松浦氏の家督を継いだ。
後に在地名である有田氏に改姓。有田傳蔵、次いで有田八右衛門茂成と称した。
龍造寺信脇とも。


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◆鍋島 長昭(?〜1654)

通称:市之丞、九兵衛、主馬允、市佑、東市佑
別名:長周
法名:透関道徹

父:龍造寺信周
兄:龍造寺家俊、信明、有田茂成
弟:久和原盛弘、須古正純

妻:納富常陸介家輔の娘

子:鍋島孝顕、正純、忠五郎、七太夫、嬉野通宣、
  石井弥七左衛門正之の妻(鍋島勝茂養女)

信周の四男。
沖田畷の戦いで戦死し、途絶えていた納富家輔の養子となり、
その名跡を継いで納富主馬允と名乗った。
関ヶ原の戦い時には鍋島勝茂に従い、伏見城攻めで功名を得た。
のち鍋島姓を賜り、納富鍋島市佑家を創設。
家老格着座の家柄として幕末に至る。


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◆久和原 盛弘(?〜1667)

通称:彦左衛門、次右衛門、織部
別名:信純
法名:剛嶽褌金

父:龍造寺信周、久和原良俊(養父)
兄:龍造寺家俊、信明、有田茂成、鍋島長昭
弟:須古正純

妻:

子:

信周の五男。
家臣・久和原良俊の養子となり、織部盛弘と名乗った。


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◆須古 正純(?〜1668)

通称:八兵衛、忠三郎
別名:
法名:天皎宗秋

父:龍造寺信周
兄:龍造寺家俊、信明、有田茂成、鍋島長昭、久和原盛弘
弟:−

妻:相良五兵衛貞利の娘

子:八兵衛通純、六兵衛勝純

信周の六男。
長昭嫡男・正純と事跡を被せる文書もあるが、同名の別人であろう。
江戸證人一番詰を務める。
末裔に須古市兵衛尹純がいる。


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不詳・別家
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◆龍造寺 信成(?)

通称:太郎九郎
別名:小山平五左衛門茂成
法名:



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◆龍造寺 信俊(?〜1584)

通称:新太郎、左衛門大夫
別名:倉町信俊
法名:

妻:龍造寺隆信の娘


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◆龍造寺 家均(?)

通称:弥二郎、五郎二郎、生左衛門
別名:晴明、家忠
法名:

後藤貴明の実子。隆信の養子。窪田城主。
子に多久図書頭。


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◆龍造寺氏 参考資料

「龍造寺家文書」「直茂公譜」「葉隠聞書」「葉隠校註」
「佐賀市史」「三瀬村史」「北肥戦志」

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