諸氏(未分類)
〜個人的に気になった人物の研究〜



◆上田重安(?〜?)

小笠原支族で上田姓に改め、祖父重氏、父重元同様に丹羽長秀に仕える。
長秀没後は秀吉に仕え、越前に一万石を領す。
文禄三年七月二十九日、従五位下主水正、豊臣姓を下賜された。
関ヶ原合戦で西軍に属したため改易。浅野幸長に預けられた。


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◆渡辺 長(?〜1612)

渡辺通の嫡子。幼名は虎法師、小三郎。長は「はじめ」と読む。渡辺石見守。
天文十七年の備後神辺の戦いを皮切りに、弘治元年の厳島合戦や
永禄四年の門司表の戦いなどに活躍した。
天正十六年には毛利輝元に従って上洛、豊臣姓と従五位下飛騨守を授けられた。 


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◆増田盛次(?〜1615)

増田長盛の次男。兄に長勝。弟に新兵衛。叔父長俊の養子。

当初の名乗りは盛直。関白秀次に仕えた折、秀次より一字賜り盛次と改名。
秀次失脚の前文禄二年(1594)秀吉の命により家康に転仕する。
兄長勝と共に叔父長俊の養子となり、関ヶ原合戦には東軍として参戦。
増田家の家督は弟の新兵衛が継いでおり、新兵衛は戦後父長盛と共に
高野山へ行った。
その後義直の尾張家へ仕えたが、大坂の陣に際し豊臣家に呼応。
大名衆の一人として活躍したが藤堂家中磯野行尚に討たれた。
妻子はなかったようだ。享年は30前後か。
戦後、父長盛は切腹させられた。享年71。
尚、兄長勝と弟新兵衛の家は共に存続している。


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◆中川金右衛門(?〜?)

織田信長の馬廻衆。
永禄三年(1560)桶狭間の戦いに従軍し手柄を立てる。
同十二年、伊勢大河内攻めに従軍。柵際廻番衆に名を連ねた。


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◆三寺正信(?〜?)

久左衛門。父は長野正宣。祖父は長野業正。
上野三寺郷に住した為、子孫は三寺を称号としたという。


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◆皆川勝照(?〜?)

平右衛門。父は皆川広照。
皆川家の家督は弟の隆庸に譲り、自身は結城秀康に仕える。


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◆石川成綱(?〜?)

志摩守。対馬守。
石川数正の嫡子であったが、故あって家督を継がなかった。
五千石を以って岡崎信康に仕え、彼の自害後は家康の近習となった。
小田原征伐時に同輩を切って三河へ隠遁。
関ヶ原合戦後は甲斐にいたが、秀康より誘われ越前へ下向。
秀康・忠直親子に仕えた。


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