佐賀藩諸事雑録



<佐賀鍋島藩の用語集雑録>

佐賀藩では、手明鑓以下の身分の者には商業・農業などに従事することが認められていたので、
足軽や被官などの多くの武家奉公人が町や郷村で商業や農業・漁業によって生計を営んでいた。
その為、他藩と異なり身分の原則が「士農工商」ではなく「士商工農」であった。


◆【足軽】(あしがる)

 軍の組織、身分の一つ。

 米一石取の弓・鉄砲役の者は諸役を除き、出陣ならびに城番申し付けられたが、
 平時は郷村や町に住み百姓や町人同様の生活をし、農業や商業を営んでいた。
 

◆【請役家老】(うけやくかろう)

 役方の中心で、藩主を補佐して藩政を総括するものとされた。

 勝茂の信任が厚かった多久安順が慶長末年からその立場にあり、当時は惣仕置や惣心遣などと
 呼ばれ、寛永の中頃に多久茂辰が引き継いだが、この時に請役家老という役名が出来た。
 御当役とか執政と呼ばれることもある。
 この家老は親類同格四家から交代で任じられ、三家や親類四家は家格は上でも務めることは
 なかった。
 請役家老の下にはそれを補佐する相談役が着座などから数名選ばれ、一般会計の御目安方も
 その配下であった。


◆【大組頭】(おおくみがしら)

 軍の組織の十五組の責任者のこと。

 横岳鍋島・神代鍋島・深堀鍋島・太田鍋島・倉町鍋島・姉川鍋島の家老の家格と
 着座十八家と呼ばれる着座の中から選ばれるのが原則であった。


◆【刀指】(かたなさし)
 
 佐賀・神埼の山内に土着した神代氏の家臣の系譜をひく名被官的存在。

 佐賀藩の特例として認められたもので、山内郷士の家長五百人に与えられた。
 苗字帯刀御免の上、鉄砲一丁を持つことを許し、士分として認めて平時は農耕に従事させ、
 無禄帯刀御免でも戦時には出陣することを義務付けてあった。
 また、本藩での身分は「士分・足軽よりは下位にして、工・商よりは上位」とされた。
 尚、刀指被官のものが他に被官することや、山内以外に移住することが禁止されていたので
 刀指被官名書帳に記録して人数動静を調べ、相続・養子・名替(氏名変更)等があれば、
 毎年二月中に願いを出させて惣心遣の許可を受けさせた。


◆【大配分】(だいはいぶん)

 知行主(給人)の在地支配権を認められた地位。

 横岳鍋島・深堀鍋島・神代鍋島・太田鍋島・姉川鍋島・倉町鍋島
 これらは大配分格小配分であった。


◆【手明鑓】(てみょうやり)

 藩士の階級で、予備の侍の意。

 勝茂の時、元和六年に始まり手明鑓で足軽物頭になることもあった。
 延宝頃から小馬廻、馬廻、留守居などの組替が度々行われた。
 佐賀藩独特の身分であるが、これは本藩と蓮池藩に限られた身分であった。


◆【着座】(ちゃくざ)

 一般に家老の一種で、家老を出す家柄が着く役職とされる。末席家老。

 佐賀藩で着座という役職が制定されたのは光茂の時代。
 家老の下位にあるが、実際藩政に参与する役職。
 後年、役職を示すものではなく、その家柄を差すようになった。
 そのため、着座に至れず大目付や大物頭となるものが実際には多かった。
 後期には概ね二百五十石から九百石までの十八家によって構成された。


◆【着到】(ちゃくとう)

 軍事の組織である番方の中世的な古い呼び方。

 家臣を十五組に分けており、御側四組、先手二組、警固六組、留守居三組によって編成。
 また、三支藩・御親類・御親類同格は本藩とは別に独自の着到、即ち軍事編成を独立して
 持っていた。
 武士の身分は、三家・親類・親類同格・連判家老・加判家老・着座・独礼・平侍・手明鑓・
 徒士・足軽という序列が出来たが、これも本藩を中心とした場合のもので、自治を認められ
 ていた大配分では、それぞれ独自の組織を持ち、家老その他の職制があった。


◆【番方】(ばんがた)

 軍事組織の意。


◆【被官】(ひかん)

 武士と百姓・町人との間の中間身分。

 苗字帯刀を許された武士的存在で軍役を課されているが手当は僅かで、また中には手当なし
 の「名被官」と呼ばれるものもいた
 被官はいずれも武士との間で主従関係を結んで、万一のときにはその配下として出兵するが、
 その主従関係は本藩主や大配分の領主との間に結んだ直参の被官と、一般の武士との間に
 結んだ「又被官」があった。
 その関係も複雑で、本藩の被官が鹿島や武雄に住んだり、その逆もあった。
 身分も本藩や大配分の直参の被官は一般に徒士格で、例外として侍被官、足軽格被官もあった。
 又被官は更に身分が低く、足軽よりもずっと低かった。
 それでも被官は苗字帯刀を許されたことから、一般の百姓に対して家格を誇っており、
 百姓の中には被官に憧れる者も多く、「鳥ノ子帳」では名被官の禁止を規定し、
 特に本百姓が被官となることを厳禁し、身分制度の維持を図ろうとした。


◆【目付】(めつけ)

 監察役のこと。

 大目付が着座層から、目付は侍から、軍目付は手明鑓より、下目付が足軽から選ばれた。


◆【役方】(やくかた)

 一般行政の組織。

 定役(経験・熟練を要する検見方、郷普請方など交代のない役)以外、一年交代が常で
 あったが、再任・継続し定役のように永く勤続する役人も実際には多かった。
 役職は家格によって定まり固定的であったが、中には才能を認められて抜擢される場合も
 あった。
 また、役職に着くと手当として役米が支給された。
 請役家老三百石、御火術方百石、年行司八十石、大目付三十石、弘道館教授五石など。


◆【山内】(やまうち)

 神埼郡を主とする地方で筑前との国境。

 旧神代系の土地柄で、三反田代官を置いたが統治に苦心したため、「刀指」という身分を
 特例で設けてこれを慰撫した。
 山内では住民の身分区別を、士分・無禄刀指・農・工・商の五段階に分け、許可なく
 当地代官の被官となることや、里目に移ることを禁止した。
 逆に、里目から山内に移ることも、侍・手明鑓と雖も許可を必要とした。
 山内には大庄屋・小庄屋・村役のほかに心遣という取締りの役人が配置されていた。
 心遣という役は、警察官のような役目を持ち、山内居住全ての人々の取締りにあたっており、
 いわば本藩直轄の目付役のようなものであった。
 この心遣が配されたのは、山内に対する警戒心だけでなく、筑前との国境にあたる要地で
 あったため、人々の動静を厳重に監視する必要があったのである。
 心遣は山内の各村(部落程度)に配置され、諸給人の人数改め帳を備え、無断転出入がない
 ように監視した。




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